四万十からのつぶやき


Vol. 7 世の中のカフェ事情
Actualite du cafe de notre temps

Hiroko Yamasaki


 田舎で変わらない毎日を送っているとたまにフランスのカフェを思い出し無性に行きたくなったりする。どうしようもなくフランスパンを食べたくなったりするのと同じくらいの割合でその波はやってくる。フランスから高知に留学して来ていた友人がフランスパンを食べるためだけでいいから一瞬だけパリに帰りたい!とか、チーズを食べに帰りたい!と言っていたのと似たような感覚だと思う。
 カフェに行きたい!と私が思うのは、やはりあの小さなカップで「飲む」というより「すする」と言った方が適切なエスプレッソが大好きだから。というのもあるが、やはりなんと言ってもフランスのカフェにわが身を置きたいからだ。

 前回リュクサンブール公園のカフェに少し触れたが、初めてパリに行った時はお上りさんらしく「カフェ・ド・フロール」「ドゥ・マゴ」「フーケ」などなど、有名どころは回った。もちろん老舗の味も楽しみだが注文すること自体楽しい。そして使われている食器やエスプレッソについてくる砂糖やブラックチョコレートも楽しみだったりする。砂糖を包んである紙やコースターを集めている友だちもいた。普通のカフェの2倍近い値段の場合もある中でもう一つ楽しむべきは老舗のギャルソンのサービスなんだろうと思う。
 いつもにぎわっているカフェのギャルソンは忙しい。せかせかと動いている。でも、いやらしい慌ただしさを感じさせない。次から次へ客がやって来ても決して長居をしている客をせき立てたりしない。本当にいつまでも変わらないパリのひとつの光景を彼らが描いているだと感心してしまう。そう、そして、その中に入り込んでいる自分をまた楽しんでいるのだ。全くの自己満足だが、これぞ、フランスのカフェの楽しみだと言いたい。
 カフェに入り、小さな丸テーブルでほっとするその瞬間から、旅行者であろうが留学生であろうがそんなことは関係なくなり、そのシーンに加わっている。通りに面して腰をかけ、ボーっとしたり、本を読んだり、仲間と話に夢中になったり。安易に'おフランス'に満足しているわけではなく、これはこの空間を演出してくれているカフェに酔っているのだ。ここちよいひとときを過ごさせてもらった感謝の気持ちを表したい時はわずかなおつりをテーブルに残す。
 ポワティエにいた時は小説に登場するようなカフェはなかったので、気取った気分でカフェに入るわけでもなく、単にコーヒーを飲みにあるいは友だちとおしゃべりするためにカフェに入る。ごく当たり前の動機である。話し込むと2杯目を注文したりということになる。それはそれ。パリの老舗であろうが田舎のカフェであろうがやはり独特のよさがある。


 フランスのそんなカフェを最近無性に恋しく思うのは、日本のカフェ事情にある。

 ひと昔前、大阪や東京に来る度においしくて安いコーヒーが飲めるコーヒー店をうらやましく思っていた。駅前や人の集まる所には必ずあり、ちょっと待ち合わせをしたり、急いでお腹を満たすにはとても便利。田舎でその倍のお金を出してどうして自分が入れたのよりおいしくないコーヒーを飲まないといけないのだろう、と不満に思っていた。
 それから10年ちょっと。あっというまにコーヒー店は普及し、似たような店鋪が至る所にある。気が付けば目に入る喫茶店はほとんどがフランチャイズ店。普通の喫茶店を見つける方が難しい。バブル崩壊からの不況とフランチャイズ店展開の波が押し寄せ、消費者は量と質と価格の3要素の中から価格を最重視し、ファーストフードや牛丼の価格破壊の流れとともにコーヒーチェーン店は大繁盛。

バスティーユ広場近く
バスティーユ広場近く

 予定の時間が余った時、あるいは逆に時間がなくて急いでいる時、つい目に入るコーヒー店に入る。昔はあんなにうらやんでいたのに、今ではちっともうれしくない。どこにいっても同じ。店鋪も味もサービスも値段も。一体自分がどこにいるのか見失う。まるで、自分の毎日すらなにもかも変わりなく同じなのではないかと思ってしまう。食べているパンの味すら感じなくなってしまう。

 世間にはフランチャイズ店と平行してか、オシャレなオープンカフェも増えた。異国を思わせる店構えは若者の人気を集め、対象を若者に限らずとも入りやすい雰囲気づくりに成功しているところは繁昌している。が、どうもフランス的なオープンカフェのよさが感じられない。それぞれがテーブルに座り会話に夢中になったり、何か書いていたり読んでいたり、ぼーっと煙草をふかしていたりという光景は変わらないのに。
 落ち着きがないのだ。フランスでギャルソンがかもし出しているあの独特の空気。マニュアル通りのサービスではないふるまい。マニュアル通りの言葉ではないやりとり。流行りのオープンスタイルのカフェはにぎわっていればいるほどせかせかしている。ファーストフード店にいるような感覚にとらわれ、長居することもなくひと休みしたら席を立った。

サンミッシェル付近
サンミッシェル付近


 ここ数年はそんなにコーヒーにこだわらなくなったので偉そうに語るほどではないのだけど、でも、喫茶店の画一化や高級店と安いチェーン店の二極化は、他のいろんな分野でも見られるように進んでいくんだろうなぁ、としみじみ思った。

 そんな折、東京で老舗だという喫茶店に連れていってもらった。大正ロマンを感じさせる店内はフランスのカフェのように一定の年齢の男性ウェイターがいる。落ち着いたサービスはこちらをも落ち着かせる。友だちが言うには本当に何時間でもいられるお店だという。確かに素敵な店内はほっとさせるものがあるが、コーヒー1杯800円に私はどう反応しよう。これでケーキを食べれば、どこかのこじゃれたレストランでランチでも食べられる…。そんな私の発想も貧相だけれど。

 ここまで高額でなくとも田舎にもそういう喫茶店はある。一般的にコーヒー1杯350円か400円のところ、しゃれた喫茶店だと500円〜600円する。ま、その空間と時間にお金を払っているのだと思えばそれも納得できる。

 そんなことを考えていると、田舎に無数にある、アメリカンではなくただ薄いだけのコーヒーを出している喫茶店が妙に愛しく思えてくる。

octobre 2003

photo by Yoshihito Nakano

- INDEX -

四万十シティへ戻る