四万十からのつぶやき


Vol. 7 オバケでカルチャーショック!
Un gros choc culturel par le fantome

Hiroko Yamasaki


 冷夏といわれる今年の夏も終わろうとしている。涼しい夏には寒気を感じる必要はないかもしれないが私がよく話のネタにする写真がある。

 パリの暮らしにもだいぶ慣れた頃、友だちとリュクサンブール公園を観光がてらブラブラし、暖をとるために公園内のカフェに座った。寒いから中に入ればいいものをやはりフランスらしく青空の下に並べられたテーブルに陣取ったのである。いくらフランスといえども寒い戸外のテーブルが賑わっている店は少なかったので、これはシャッターチャンスと私は自分を被写体にして友人にシャッターを切ってもらった。散歩の途中に寄った人達や私たちのような観光客など複数のグループがくつろいでいた。そんな光景の中でココアのカップを前に腰かけている一枚は、私の格好はともかく、お気に入りの一枚だ。

 私の横ではいかにも散歩途中の女性二人が座り被写体となっている私を見ている。老夫婦や幼い子供連れの家族がいたりする。私の真後ろの席では貴婦人のような格好をした年輩のご婦人が、日本ではまずかぶらないであろう、またフランスでももうあまり見ないのではないかと思えるような型の帽子をかぶり、コーヒーカップを片手にしている。おそらくいつもの公園のカフェ風景がおさめられている。

 はじめに不思議を訴えたのが私だったのか、写真を撮ってくれた彼女だったのか。
 「この後ろのおばあさんと重なった(私の)肩って透けてない?」
 「(私より)後ろの席にいるのに(遠近法に逆らって)なんだかこの人大きくない?」
 「この帽子って今っぽくないよね。なんか服も時代が古そう。」
 これらのなんでもないような疑問を大きな疑いにしたのは、そのご婦人のテーブルから下に彼女の下半身が写っていないからだった。

 帰国後、まだ大学生だった私は短いパリ暮らしの思い出話をするつもりで教室に写真の束を持って行ったのだが、この写真でこの話題となった。なんらかの物理的な原因だという者もいれば、こわがって見たくないという者もいた。本当に心霊写真なのか。どちらとも結論づけず、いや結論づけられず、こういうこともあるのね、とその場は終わった。


 話を聞きつけた友だち達や親せき達から写真を欲しいという催促が来て数枚焼き増しした。引き延ばしまでした。たぶん誰かにあげたのだが、そうこうしているうちにオリジナルがなくなった。ネガはあるのでプリントすればいいのだが、結局そのままになっている。ネガにもご婦人はきちんと写っているので焼き増しすればいつでも見られるはずだ。

 久々にその話をポワティエでも持ち出してみた。

凱旋門
遠くに見える凱旋門
 フランス人の友だち、モロッコ人の友だち、彼らの反応は私たち日本人とはまったく違った。驚きもしなければ、その真偽を疑って騒ぎもしない。まるでなんら変わりない日常の一つの出来事として受け止められる。おもしろくなかった私は、どうして疑問に思わないのかそれぞれに尋ねてみた。

 世の中には、'mauvais esprits (悪い精霊)'と'bons esprits(善い精霊)'がいて、それらが偶然見えても別に不思議はないよ。'esprits celestes(天使)'と'esprits de tenebres(悪魔)'のことは聞いたことがあるでしょう。などと子供にさとすように語ってくれる。イスラム教信者のモロッコ人の友人にしてもそれは同じことらしい。驚きも疑念も何も抱いた様子はなく、むしろ大騒ぎしている私を不思議がっている。彼らにとって、それが本当に「心霊写真」であるかはどうでもいいことなのだ。

 その反応をまたまた不思議に思った私は、授業でも話題にした。いろんな国の人がいるのだから、きっと私(私たち?)と同じような反応をする人もいるはずだと期待して。まずは写真の説明をし、それから先日私が話した時の友人らの反応についても述べ、それぞれどういう風に思い感じるのか教えて欲しいと頼んだ。

 その日、教室には10名程がいた。
 しばしの沈黙。フランスの友だちに話した時と大して変わらない空気が流れる。そして同じようなことを言われる。目には見えないけど精霊はいるんだから、写ってもおかしくない。半数以上がこの意見にうなずいているようだ。チリ人のクラスメイトが口を開いた。
 「そういう事象に関していろいろな意見があって、実際いろいろ言う人もいるけど、結局、これは国というか宗教的な背景や環境で異なると思うし、同じ境遇に育っていても人によってまた違うし…。」もっともなご意見。唯一私と同じ反応を示したのが韓国人の友だちだった。


 同じ授業内だったか覚えてないが、ダーウィンの進化論についても似たような反応だった。むしろ反応はもっとはっきりと分かれた。フランス人の友だちの多くは進化論を肯定しなかった。人間と猿の仲間が同類のわけがないという。中には宗教的見解はそれはそれと割り切り、科学的根拠は否定しないという者もいたが。 ある週刊誌がダーウィンの進化論説について特集を組んでいてそれが発端だった。進化論の話が単なる科学の話ではなく宗教的な話なのだと気づかされるのも一つの不思議だった。宗教的な質問はタブーと言われるがそれでも状況が許されれば私は尋ねていた。

新凱旋門
ラ・デファンス 新凱旋門

 アメリカの学校によっては進化論説を教えたり教えなかったりするという。進化論は聖書に書かれている創造論に対するからだ。イラン人の友だちよれば、イランも昔はそうだったが、現在は一つの説として進化論に触れる傾向にあるという。なんだか複雑な気持ちになった。

 正直なところ、ショックだった。人類の祖先が猿人類であるということに疑いを持たずに育ち、「幽霊」というものは非現実的なものとして受け止めるようになっているのが私なのだ。

 カフェの写真は実際それほど疑わしいものではないと思う。話題の渦中の婦人はあまりにもリアルでオバケのようではなかった。恐らくそれらしく見えただけだ。でも、「心霊写真」でカルチャーショックを受けるとは想像もしていなかった。お気に入りの一枚は貴重な一枚でもある。

septembre 2003


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