四万十からのつぶやき


Vol. 3 意識の背景にある環境 voir par l'endroit ou j'etais

Hiroko Yamasaki


 いつだったか、授業の中で大統領になる人物に必要な条件とは?というテーマが出て、クラス中が論議に熱中したことがあった。はじめに、先生が20程の条件を挙げてくれているのだが、その中から必要だと思うものをいくつか選んで理由を述べるという筋道だった。

 ハンサム(死語?)であること。頭がいいこと。背が高いこと。機転が効くこと。母語以外に複数の言語が話せること。指導力があること。話が上手であること。若いこと。経済に強いこと。人脈があること。カリスマがあること。

 その他、多数の条件があげられた。
 私は条件の一つに結婚していることを選んだ。家族を持っていること、を言いたかったのである。しかし、これに多くのクラスメートが反論してきた。

 −どうして結婚してないといけないのか?!
 −だって、結婚してから分かることがあるでしょう。家庭内の夫婦のこととか、子どものこととか。教育や福祉や家族を取り囲む社会的な背景とか。
 −それは、周りからいくらでも学ぶことができる。結婚してないからといって、女性の社会での役割や家庭での役割など、また、残念ながらいまだに女性の周りでみられる性差別についてだって、充分に理解できるんじゃないか。分からないというのはその人の勉強不足だ!(今思えば、この時点で「大統領は男性」とほとんどの学生が想定していたようである。)

 などなど、思い出せないほどの意見が出て、多くの国からの留学生がいたがそのほとんどから私の意見は否定されたのだった。唯一、ロンドンから来ていた女の子を除いては。

 その時、クラスには、日本人は私一人で、イギリス人も彼女一人だった。彼女も私と同じような返答をしていたのだが、結局、ヨーロッパ各国、アメリカ、南米、中東、アジア諸国、多数の周りの意見に私同様圧倒されてしまった。私たち二人はなんとか分かってもらおうと説明するのだが、結局二人して顔を見つめあいながら、言葉に詰まり立ち尽くしてしまった。
 実際、未経験のことだから分からないと決めつけるのも私の傲慢のような気もした。おそらく、本当の意味では分からないことはあると今でも思うのだけれど、分かった気で政治を行うことはできるわけで、それがうまくいっていればなんら支障はないのだから。第一、「結婚」という契約を法律上結んでいなくても家族を持つことはあるわけだし...。

 最後に、「女性の国家元首が世界に多くなるといいわねー」という教授(女性)の言葉で議論は終わった。

 熱い時間を振り返ってふと気付いたことはといえば、イギリス出身の彼女も日本からはるばる行っている私も、自国で「ファミリー」を見ていること。大統領や首相と王室や皇室はその役割は違えども、ことあるごとに目にする一番の「家族」である。

 そこから、彼女と私が同じ発想をしたかどうかは分からないが、テレビで目にするファミリーの姿は(その家族がどんな問題を抱えていようと)、私たち二人の意識の奥底に何かを植えつけたことは確かだと思う。

 このことは私の中に印象強く残ることになったのだが、日本にいたときに意識すらしなかったことに、ふとした時に気付かされることは多かった。

サグラダファミリアの前の観光バス

 秋も深まったある日、授業が終わった後町へ出てクラスメート3人でカフェに入った時のこと。アメリカ人の彼女が切り出した。

 −この前、すごくびっくりしたのよ。
と韓国人の彼女に向かって言う。
 −何?
 −前、アジア人って私が言った時、「私は韓国人」って何度も私に言ったじゃない。
 −だって私は韓国人だから。
私はだまって二人のやりとりを見ている。
 −アメリカにも中国人も日本人も韓国人もたくさんいるけど、みんな『アジア人』って感じで特にどこの国の人ってこだわっている人には会ったことがなかった。なんか『アジア人』というグループというか見えないつながりみたいなものがあってそっちを強く感じてた。「私は○○人です」って主張されるのは新鮮な感じ。
 そう、とっても新鮮だった、と何度も彼女は繰り返した。

 それは日本人の私にとってもおもしろい話だった。アメリカ大陸に行ったことがないので分からないけれど、アメリカのような大きな国に行くと同じ地域から来ている人々ということで無意識のうちに仲間意識ができるのだろうか?地方から都市に行った人が同郷だということですぐに仲良くなったりすることに似ているのだろうか?それともどこの出身だとこだわることが意味をなさなくなるのだろうか?

 普段とてもおとなしい口数の少ない韓国人の彼女は私に向かって、私は韓国人で、ヒロコは日本人でお互いアジア人だけど、でも違うよね、と聞いた。
 −確かに違うね。日本は日本だし、韓国は韓国で、中国は中国。それぞれ違う。
 −もちろん、違う国だけど、でも私にはアジア人はアジア人だったわけ。アジアから私の大学に留学してきている友達もたくさんいるけど、あなたみたいに言うのを聞いたのははじめて。
と、アメリカでジャーナリズムを専攻しているという彼女は再度加えた。

バルセロナグエル公園にて

 ユーロという潤滑剤の注入に成功し、ヨーロッパ人という意識がさらに強まったであろうヨーロッパでボーダーレスが進むのと平行して民族や文化に対する意識は強くなっている。それが純粋にグローバリゼーションを懸念しての動きか、はたまた異文化の流入、移民の定住などにより我が身に感じる危機感からかという論議はさておき、もともとたくさんあった言語や文化、多くの民族が移動しては国が興亡し、失われるものがあれば新たなものが芽生える。そうしていろんな価値観の混在が当たり前のものとして存在している地域と、かたや、新天地を求め母国を離れ夢を抱いて国をつくるために生きてきた人々の国。対面の陸の言語や文化を持ちながらもアメリカという一つの価値観を築きあげた人々の国。その大陸から来ている彼女の感じたこと。

 一杯のコーヒーをなんだか非常に意味あるものにしてくれたような時間だった。

mai 2003

photo by Yoshihito Nakano

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