四万十からのつぶやき


Vol. 11 インターネットで何をする?
Que faites-vous avec la toile?

Hiroko Yamasaki


 インターネットに接続されたパソコンが手放せない毎日を送っている。私のような人間が2003年という1年間だけでも大幅に急増したのではないだろうか。地球の裏側にいる友人とやりとりするのも瞬時に可能で10年前には信じられなかったほどだ。仕事上でも打ち合わせなどはともかく書類のやりとりにわざわざ出かけて行ったり、郵便で送ったりという手間を省ける。買い物などはネットの方が好都合な場合もある。フランスでは通販大手"la Redoute"のネットでの年間売上げが前年の1.4倍になったそうだ。実際、送料無料なら家にいて注文し都合に合わせて配達してくれる買い物は非常に便利。ほんの2年前、市民パソコン講座を受け持っていた時、受講されていた年輩の方が「私は動けなくなったらこれで買い物します」と言っていたのを思い出す。
 私は月に1回以上はインターネットを通して買い物をしている。毎日3回以上は、ネット上の英和・和英・国語辞書を使い、仕事上の専門用語調べも欠かさない。郵便番号の検索、地図での場所確認、その他多くのことをネット上にあふれているデータに頼っている。そしてこうして自らも某かの情報を発信している。しかし、インターネットが全てでないことも知っている。


 日本中がIT革命に湧いていた2年前、私は朝から晩までコンピュータの講座に明け暮れていた。
 パソコン入門を終えた人や、文字を入力するだけの繰り返しに飽きた人がインターネットの講座を受講して来た。遠く離れた子供や孫とメールのやりとりしたいという人もかなり多かった。
 インターネットのしくみから始まってその活用の仕方を説明する時、避けて通れないのが検索エンジンの利用法だ。みなさん、その結果をおもしろがってキーワードを色々入れてみる。ひらがなのまま検索してしまい、周りの皆と違う結果が出て来て焦ったり。思うような結果が得られず早々に検索をやめ、気ままにネットサーフィンを楽しんだり。あるいは、知人のサイトがあると聞き探してみるが見つからず、「おかしい。壊した!」と言ってみたり…。

六本木
六本木
六本木ヒルズ

 はじめはYahoo!やgooといった検索サイトを利用しキーワードを直接入力するか、提供されているカテゴリーから探してもらうかのどちらかで知りたい情報の「検索」をしてもらっていた。慣れて来た時点でキーワード検索のためのテキストボックスしかないサイト、googleを紹介する。当時はまだ一般のユーザーにとってgoogleでの検索は主流ではなかった。それがあっという間に広がり、現在最も使われている検索エンジンの一つとなった。


 Le Monde diplomatique en japonaisの10月号(*1)に「googleを通して見える世界」という記事がある。分かり切っていたことを改めて言われたようで、自らの行為すら見つめ直さずにはいられなくなった。記事はインターネットという”百科事典”を引くこの画期的な「検索エンジン」の不都合性を指摘している。
 そもそもウェブ上にある無数の情報はその情報を公開しようと思う人がいなければなりたたず、また、情報の正確性も不明瞭で公開者の私見も入るものなら辞典としての信憑性にも欠けてくる。それを私たちの多くは、まるで「万能」の百科事典のように「最強」の検索エンジンを使って調べものをしているのである。膨大な情報量からサーチされた検索結果も膨大。その検索結果で上位にあげられたページをみるだけで満足するかもしれない。しかし、それらのページ内容は本当に欲しかった情報とは限らない。それが分かっていても上位にランクしたページをクリックせずにはいられない。そうした私たちの行為が企業などを検索結果で上位にランクされることを最大の目的としたサイトづくりへと駆り立てる。
 私自身、調べものがある時どうしても真っ先にインターネットで検索してしまうのだが、それが完璧な百科事典でないことも心得ている。それでもなお、お手軽なインターネット検索に依存してしまう。検索結果が妥当であるかどうか、自分で判断する。googleで探し、gooで探し…。それは検索エンジンそれぞれの特異性を分かっているからでもある。しかし、例えばgoogleで検索することで満足して終われば、そのアルゴリズム、多くのサイトからリンクされればされるほど上位にランクされるという、その特異性の落とし穴に陥っている可能性がある。いくら素晴らしいページであろうとリンクの張られていないサイトのページは無視され、他方で内容の真偽に関わらずリンクという多くの票を集めたページが珍重される。googleでなくとも、インターネットを調べものの土台にすること自体に無理がある。決して各検索エンジンに善し悪しの評価をつけるのではなく、その特徴を理解して使いこなせばこれほど便利なものはない。


 インターネットで垣間見る情報がどれだけ正しくどこが間違っているのか、閲覧している本人が疑問を抱かなければ永久に気づかれない。検索する本人が何を求めていてどこでその確証を得るか、本人の力量による。当時、情報リテラシーということが盛んに言われもしたが、ホームページを作成しそれを世界に公開することは誰でもできることである以上、その情報をいかに読み取り、いかに発信するかが問題となってくる。
 残念ながらネット上にあふれる膨大なデータを管理することは不可能であり、またそういう行為も正しいとは思わない。ネットの自由性と利便性は誰にも等しくあるべきでそれを制限することはその価値を半減させる。だからこそ、それをどう使うかは自分で意識していて欲しいと願う。
 2004年、ますますこの”情報の蜘蛛の巣”は拡がりを見せ、私たちの暮らしにさらに不可欠なものになっていくだろう。大きな自由の前には、自己責任が伴うのはどの世界でもどの分野でも同じこと。この便利な道具が自分にとって何を生み出し、どういう害を及ぼす可能性があるか、どこかで意識しながらもさらに使いこなして欲しい。

(*1)「Googleを通して見える世界」http://www.diplo.jp/articles03/0310-5.html(ル・モンド・ディプロマティーク2003年10月号、訳・岡林祐子)ピエール・ラジュリ(Pierre Lazuly)ウェブサイト Les Chroniques du menteur(嘘つき時評)制作、L'autre portail(一味ちがったポータル)主宰

janvier 2004

photo by Yoshihito Nakano

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