四万十からのつぶやき

Vol.1 なぜか四万十に在る Ma raison d'etre a Shimanto

Hiroko Yamasaki


 高校卒業以来8年ぶりに、この陸の孤島と呼ばれる四万十川が流れる町での生活を再スタートさせた私は、退屈だった。退屈で脳みそが溶け出しそうだった。

 フランスで私がいた町も正直田舎町だったが、県庁所在地で人口は10万人を数えた。その3分の1は大学生だったのでにぎわいがあった。本屋も充実していたし、映画館も小さいが複数あった。夏のヴァカンス以外は、カフェは学生でいっぱいで、町の中心の小さな商店街は若者はもちろん、お年寄りや子どもたちがひっきりなしに往来していた。ゴシック建築で有名なノートルダムがあり、観光客もよく訪れていた。

 1995年秋から1997年の秋までの2年間、私はポワティエという、パリとボルドーの中間にある小さな町で過ごした。デカルトもいたと言われるポワティエ大学の外国人用のフランス語クラスに入り、憧れのフランス語だらけの生活をしていたのである。

シャルルドゴール空港

 地元の国立大学で英文を学んでいた私は、フランス語への情熱が膨らむ一方だった。高校の図書室で開かれないまま古びたと思われるフランス語のテキストをペラペラめくっていたのが最初。
 どうしてフランス語なのかと聞かれればいろいろ言い訳はできる。小さいときから絵を描くのが好きだったから。世界史を勉強してフランス革命に興味を持ったから。などと、いくらでも書けそうだが、「好きであることに理由なんかいらない」というのが私が大学でフランス語を教わっていた先生のお言葉で、まさにそれに尽きると思う。

 第二外国語としてのフランス語ではもの足りず、ある春休みに短期語学留学。フランス語が上達しなかったのは、一緒に来た女の子仲良し3人組で美術館めぐりに一生懸命だったからといえば聞こえもいいが、一応英文科だった私は何気ない会話にもつい英語を使っていた。フランス語で考えフランス語で話せばよいものを、わざわざ英語で考えフランス語に置き換えるという作業を頭の中でやっていたようである。しかし、最大の原因はあまりにボキャブラリーが貧祖で、言いたいことを伝えられないこと。せめて日常単語の暗記でもしておくべきだった。そんな後悔に終わった短いパリ滞在だった。

 社会人になってもフランス語の虜になっていた私は、資金が貯まるやいなやフランスへと飛び出してしまった。1年のつもりが2年になりこのままずっとフランスにいたいと強く思ってはいたけれど、当時、失業率12%を超える中で外国人が仕事を探すのは困難極まりなかった。労働許可証を持っていなければ職にありつけず、職に就かなければ労働許可証は発行されない。つまり、新参者には簡単にいい話は回ってこないというのが現実のようだった。結局、学生ビザの期限も迫り資金も底を尽き帰国した。

 そこからポンっとこの日本の田舎に舞い戻って、いったい何をしよう。フランス語を聞くためビデオを借りて来ては黙々とフランス映画を観る。フランスの友人にせっせと手紙を書き、文章力を保つ。せいぜいそれくらい。せめて欲しい本を容易に買えるところに移りたい。観たいフランス映画をタイムリーに観られる都市に引っ越したい。そんな思いを増大させながら悶々とした毎日を無意味に過ごしていたある日、インターネットで見つけたのが、『ル・モンド・ディプロマティーク』というフランスの新聞を邦訳しインターネットを活用して電子配信しているグループだった。

 早速、翻訳スタッフに申し込むと快く受け入れてくれた。それからがこの陸の孤島でどうとかフランス語に関わって、とりあえず退屈から救われた私の四万十暮らしの本当の始まりとも言える。

 2000年、この町ではインターネットがやっと身近なものとして知られるようになった頃。幸い職場がコンピュータに関しては地元では進んでいる方だったので周りから知識を吸収するだけでITの波にのっていくことができた。高知の西南端にいながらにして東京や大阪、東北のスタッフとやりとりをし、一つのものを形成していく様はこれからの時代を象徴しているようにも映った。

 しかし、哀しいかな。リーダーの斎藤さんをはじめとした優れたスタッフ陣は、それぞれ日々の仕事をこなしながらボランティアで毎月の翻訳をこなしてる。当時は毎月500円の購読料を読者の方々からいただいていたが、現在は希望者に無料で配信している。話がそれるが、9.11テロ以来、どうしてもアメリカサイドからのニュースが多い今のご時世、ヨーロッパや他の地域でどういう風に報道されているか、どういう人たちがどういうことを考えているのか、違う視点・観点を垣間見ることはとても有意義だと思う。日本ではめったに大きく扱われない国々の記事を読むことも、戦後アメリカ一辺倒の体制できた日本に住む私たちにとっては得るものが大きいのではないか。

 フランス語だけで食べていくというのは、実際、なかなか難しい。フランス語を活かして食べていくというのもなかなかそのような機会には巡りあえない。世界では英語ができれば往々にして困らないし、Webでサイトに使われている言語も80%以上が英語だと言われている。

 それでもフランス語にこだわってしまうのはなぜだろう。日本語とフランス語はなんとなくしっくりくるような気がする。友達に言わせれば、英語は所詮ビジネスの言葉だからよ!ということだけれど、同じ文章を書いてもフランス語の方がきれいに伝えたいことが伝わるような気がする。英語はストレート過ぎる。そんなことを言っているとますます脱線するのでこの辺で話を元に戻そう。


 インターネットの普及は、とりあえず、田舎を出て行きたい病にかかっていた私を、この陸の孤島にとどめることに成功している。フランス語に執着し、地理的・時間的制約を超えて情報を得ようとひたすらパソコンに向かっていた私は、いつしかパソコンとインターネットの恩恵を受けて仕事をしている。最後の清流と呼ばれる四万十川を見つめながら。

四万十川
mars 2003  
photo by Yoshihito Nakano

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